学校の中にも身分制度があった
学校の中にも身分制度があった
2000年代の後半から自然と普及し始めた「スクールカースト」という奇怪な用語は、学校の中で自然に身分制度が形成されることを、本当にずばり表現しています。
スクールカーストの正体: キレイゴト抜きのいじめ対応 (小学館新書)
- 作者: 堀裕嗣
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2015/10/01
- メディア: 新書
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カーストwwまさに身分そのものではないか。
スクールカーストの決定要因とは?
スクールカーストの決定要因として運動能力、ルックス、成績や社会的ステイタス、性的奔放性など様々な要素が指摘されているが、これが決め手というものはないようです。
上記の本では、「コミュニケーション能力」などという実態のはっきりしないもので決まると書いているが、まあそんなキレイ事ではありません。
身分というのは、前近代的でドロドロとしたものだから、キレイな用語では表現しきれない。
ズバリ、一言で言うならば「異性の関心を引く性的魅力による序列」ということになるでしょう。
スクールカーストが形成されるのが、小学校高学年から中学にかけて、というのもこのことを示しているように思います。
異性の関心を引く魅力は遺伝的な要因が大きい
異性の関心を引くようなルックス、運動能力、そして時には知的能力などは遺伝的な要因が大きく、簡単に逆転できるようなものではない。
したがって、序列も固定化してしまう傾向があり、これが「カースト」なる奇怪な表現がぴったり来る理由なのでしょう。
全く身も蓋もない話だが、これが最も実態に近いように思います。
モテ非モテは原始的で自然な感情なので、義務教育の建前で介入してもあまり意味はない。
身分制は上にいても下にいても窮屈なものだが、義務教育という箱に押し込められて逃げ場を封じられた上に、カースト下層になってしまったらそれこそたまったものではない。
カーストからの解脱に至る道
日本社会で身分制がいたるところにみられる原因は、日本人の基本的な人間関係が身分を内包しているからです。
幼少時より親子、先輩後輩、生徒教師すべてにおいて身分をたたきこまれ、無意識に上下関係を作っている。
日本人にはあまりにも当たり前で、敬語が自然に出てくるようになれば、意識することはなくなります。
解脱に至る道は容易なものではありません。
まずは存在を認識すること。
モテに関係ない能力や学力に専心しキャリア組の切符を掴むこと。
これがそもそも上位1-2%くらいの狭き門ですが。
もしくは潤沢な資本を手に入れて、身分の外側にいくこと。
お金は身分も買うことができる万能のツールですから。