身分の振り分け装置としての学歴
身分としての上級国民
江戸時代ではおおよそ100石どり以上の上級武士がほぼ固定化された階級で、人口の1%程度でした。
またヨーロッパの貴族といわれる階級も人口の1%程度であり、上級武士とほぼ対応していました。
この1%前後、という数字がポイントです。
現代日本の勤め人だと、年収2000万超えくらいからが上級国民といってよいと思います。
学歴が身分を決定している
明治維新では制度としての士農工商という身分は廃止したものの、実質的には身分制で運営されていた。
では、明治以降の日本でどのように身分が決定されているかというと、これはもうほぼ学歴で振り分けていたといっていい。
現在ほど教育が大衆化していなかった戦前を振り返ると、そのことが明らかとなります。
戦前の進学率を見れば、学歴の役割が明確になる
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戦前の学制と進学率をみると、学歴の役割が明確にわかります。
①尋常小、高等小学校
大多数の庶民
②中等学校(旧制中学、商業学校)
昭和期で中等学校以上に進学したのは3割~4割程度
③高等教育(旧制高校、大学、専門学校、私大専門部=現在の私立大学)
中等学校卒業者の4割は就職しており、残りの6割が高等教育へ
④帝大、官立大学など
旧制高校(→ほぼそのまま帝大など)が1%(5千人以下)であり、私大・専門学校との間には就職や給与における明確な格差があった。
ざっとここまでみると、旧制高校から旧帝大、官立大(東京商大、神戸商大、東工大、旧制医科大6高)に進むコースが、ほぼ上級国民に相当するといっていい。
恐らくエリート層が1%前後になるように、制度が設計され、定員が調整されていたと考えられます。
収入の格差は身分によるもの
社会全体が豊かになり、教育が大衆化・高度化した現代では、戦前ほど学歴による選別があからさまではありません。
しかし学閥やキャリア組など、日本社会における様々な身分を観察すると、基本は戦前とあまり変わっていないことがわかります。
平均年収が4~500万円とすると約5倍以上、非正規雇用では2~300万円とすると10倍の年収の格差は、身分によるものなのです。