江戸時代の上級武士が、現代の上級国民に相当する
維新政府は幕藩体制とは全く異なる新しい近代国家を作ろうとしていたので、殖産興業や語学、財政などそれまで養成してこなかった分野の人材はいつも不足していた。
そういうわけで、維新の中核であった薩長土肥出身者が目立つのは当然ですが、官軍につかなかった藩からも人材が登用された。
明治初期は形式的には身分制度が廃止されたといっても、支配階級としての役人になるべく教育をうけていた武士の出自は強く意識されていた。
武家出身以外の人材が取り立てられることはそうそうなかったし、支配階級としての教育を受けていない庶民にはそもそもそんな発想はなかった。
結果として、維新以降、明治政府で中核を担った政治家、官僚や実業家はお武家さんが多い。
高級官僚や高級軍人の家系からはその後も実業家や官僚、高級軍人が輩出され、旧藩主や維新の元勲からなる華族を中心として上流階級が形成されます。
貴族としての上級武士
武士の比率は人口で約5%程度です。
このうち4分の1が上士と呼ばれる上級武士でした。
人口比では1%強になります。
藩の規模にもよるので一概には言えませんが、大体100石とりぐらいからが上級武士になるようです。
武士の中でも、上級武士と中下級武士の差は大きく、この間での階層の移動はあまりなかったらしい。
つまり、上級武士はほぼ固定された階級でした。
ヨーロッパの貴族が0.5%~1%くらいとういことから考えても、この上級武士がほぼ貴族に相当するといえます。
中下級武士は現代ではどのくらいの階層になるのか
個人の年収だと、1000万円以上は5%くらいです。
このくらいからがお武家さんに相当するかもしれません。
しかし東京に住んでいて年収1,000万程度だと、生活レベルはとてもあげられらない。
専業主婦という家事育児専業の人員を抱えつつ、子弟を教育するのはなかなか厳しい。
住居費や教育などに多額の支出を強いられて、可処分所得は意外にも少ないのが実態でしょう。
同様に、武士とはいっても中下級の武士は、生活に困窮することも多かった。
封建社会なので、武士というだけで格式の維持に相応のコストがかかります。
生活費は内職で、というケースも多かったようです。
このあたりの事情は東京在住の上場企業勤務で年収1000万円程度のサラリーマンとよく似ています。
多額の住宅ローンを抱えたりすると、教育費に事欠いて妻がパートに出なければならないということも結構あるのではないでしょうか。
現代の上級国民とは
年収2,000万円以上は0.4%となってガクッと減ります。
世帯年収では1.3%となり、ちょうど上級武士の割合と同じぐらいになります。
現代の上級国民といえるのは、このあたりの世帯年収が必要となるのではないでしょうか。
この年収を子供に実現させるためには、送り込む業界も限られてきます。
簡単に言ってしまえば、なんらかの既得権益をもつ業界でないと、年収2000万円はなかなか超えられない。
もっともわかりやすいのはNHKのようなマスメディアで、政治家などのコネ入社などが圧倒的に多いことからも、楽して稼げる業界であることがわかる。
また医師や弁護士などの資格商売もそうでしょう。
企業でいえば、財閥系企業、特に商社や不動産など、比較的高年収を実現しやすい。
一昔前は護送船団といわれた金融業界も高収入だったが、今はそれほど楽に稼げる業界ではないようです。
フィルターとしての学歴
現代日本は身分社会ではないことになっているので、このような既得権益を有する業界へのチケットを手にするために、学歴が必要ということになっています。
ゆとり教育という日教組の影響を受けた官僚が導入した愚かしい政策の失敗を経て、受験戦争はいかがなものかなどといった建前論は崩壊しました。
とはいえ、一応大学受験は全員に門戸が開かれています。
このことを認識すれば、教育の重要性は自ずから明らかでしょう。
参考図書
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