上級国民への道blog

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小学校での英語教育導入がほぼ全否定されていた件について

これまでさんざん議論されてきたのが、「何故中高6年間も英語をやって、全く使いものにならないのか?」

結論は「量と時間が足りない」、これに尽きます。

 

 

英語教育熱 過熱心理を常識で冷ます

英語教育熱 過熱心理を常識で冷ます

 

 

英語教育を専門とする著者が、日本での英語教育においては常識では考えられないことが議論されているとはっきりと指摘しています。

 

 

そもそも量が全く足りない

量の問題でいえば、中1、中2、中3それぞれ1年間の教科書はA3裏表で収まってしまう程度です。

高校卒業までの6年間で、使う教科書によって多少前後はあるがペーバーバック 50~60ページ程度の分量です。

単純に考えて、母国語以外の本を6年かけて数十ページ読んだとして、外国語が操れるようになるのだろうか?

常識的に考えれば、お話にもならないだろう。

 

学習時間が全く足りない

中高6年間での授業時間は1000コマで、1年あたり150コマ、時間になおせば1年当たり約130時間程度である。

つまり、授業だけでは週に2~3時間しかやっておらず、集中度も全く足りない。

同じ1000時間でも1年間で集中的に時間をかければ、もう少し定着する可能性もあるでしょう。

 

どの言語でもネイティブが乳幼児期に片言からそれなりにまともな言語習慣を身に着けるのに、その言語だけで生活して大体就学前までの数年を要する。

このことを考えれば、6年間で1000コマの授業では量も時間も集中度も全く足りないので、常識的に考えて身につくはずがないのです。

 

学校でのそこそこの授業で英語が身につくのは、もともと同じ言語であったゲルマン諸語や北欧、次に語彙語源のかなりの部分を共有する仏語などラテン系ぐらいのものでしょう。

ゲルマン諸語と英語の相違は、日本の方言の差より少し大きいぐらいに過ぎない。

関西弁と標準語も、音声表記すればかなり違って見えるはずだが、普通の日本人は苦もなく理解できるのと同じことです。

 

小学校での英語教育は弊害となる可能性も

常識的に考えれば、中高6年間の1000コマの授業だけでは英語を操るのは不可能であることは自明なのだが、だからといって小学校から英語を導入すれば解決されるのだろうか?

 

週に1~2時間程度前倒しで導入しても量と集中度が全く足りず、ほとんど効果が得られないのではないかと著者は予想している。

小学校では教師の専門性も下がるのだから、何をやっているのかわからない状況になるでしょう。

 

というか、まともな英語を使える人間がきょうび小学校教師になんかなるのだろうか?

むしろ、いびつな発音と文法を強要されて、間違った英語を教わり後々の学習の妨げになる可能性すらある。

 

義務教育には期待しても無駄なようだ

こういうのを戦力の逐次投入といって、旧日本軍が繰り返した失敗です。

常識的な議論が通用しない状況下において、役人が責任回避のために何かやったふりをしようとした時にしばしば起きる事象です。

 

義務教育の時間は国費を投入する貴重な教育の機会なのだから、効率が追及されるべきです。

しかし、長らく日教組と人権メディアの支配下にあった教育界では効率という単語すらタブー視されている。

既に多くの家庭がそうしているように、現状の義務教育には期待しても無駄なようです。