上級国民への道blog

投資や教育関連、時代小説や戦記物など 

国がなくなったらどうなるのか?子供たちに伝えるべきこと

国家の庇護を失ったのが難民

現代の日本人にとって、国、あるいは国家とは空気のようなものであり、普段はその存在を意識することはほとんど無いのではないでしょうか?

日本は法治国家であり、法治で国民の生命と財産を保証している。

裏社会など極一部に異なった保証システムがありますが、これもその範囲をどんどん狭めている。

 

国がなくなったらどうなるがということは、国家の庇護を失った難民のことを考えればよいでしょう。

ときおり「難民」と称して騒ぐ、活動家と区別がつきにくい外国人がマスメディアで取り上げられます。

どういう意図があるのか知らないが、マスメディアはなぜかヒューマニズムの観点から自称「難民」の権利保護を訴えて、なんとか政権批判につなげようとする。

このような一面的・画一的な安っぽい報道によって、難民というものを想像することは困難になっている。

 

日本人にも大量の難民がいた

ところが、そう遠くない昔に、難民となった日本人が多数いた。

具体的には敗戦後の満州の日本人居住者たちです。

 

生き残った方々は、つい最近まで現役で活躍していました。

 

満州国について、そこで何があったのかについて、学校教育ではきちんと学ぶ機会はほとんどない。

ことに敗戦前後の混乱した状況については生き残った方々の口も重い。

 

戦後70年を超えて、ついにその方たちの多くは鬼籍に入り、多くの困難が忘れられようとしています。

 

満州難民

満洲難民 三八度線に阻まれた命

満洲難民 三八度線に阻まれた命

 

 

満州関東軍支配下で、満州国の運営はほぼ日本人が行っていた。

日本人経済官吏の家族の話です。

当時の満州ではもちろん上流階級であったことでしょう。

ソ連満州に侵攻してきた際に、いちはやくその人たちは朝鮮に疎開したのだが、38度線より北に疎開した家族は、ソ連が更に朝鮮半島に進出し支配下においたことで、外部と連絡がとれなくなり、自活を余儀なくされたのです。

 

満州国が崩壊したことで、通貨も暴落し、それこそ紙切れ同然となっていきます。

朝鮮半島北部の冬は厳しく、食糧調達の手段は物々交換のみ。寒さ、栄養失調と不衛生な環境下で、死者が続出しました。

 

北朝鮮の日本人遺骨問題とはこの時の出来事です。

拉致問題に絡めて、この日本人遺骨問題さえも金銭目的の交渉の材料にするかの国には怒りを禁じえません。

 

子供たちに伝えるべきこと

色々と課題はあるが、現代日本は豊かさで満ち溢れている。

そしてどのような意図があってか知らないが、グローバリズム万歳であったり、国家と権力とかいう名前のつくものはとりあえず批判しておけば良いかのような風潮が、マスメディアには存在します。

 

しかし、国家や国、さらに東アジア情勢の話をするにあたって、知っておかねばならないことがある。

満州の悲劇、そして開拓団の悲劇はその一つだと痛感した。

 

これからの世界を生きていく子供たちには、必ず伝えなければならないことがあり、そのために自らも学び続けていく必要があります。